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出会って、感じて、響きあって。2005年10月 いつの日か、たとえ学校を出ていなくても、人並み以上に収入を得られる可能性があることを体験し、しっかりと自信を持って生きていってくれればと願う。そしてネパールの世の中が、真の実力者を受け入れる意識が持てるようになれば、もっともっとネパールの社会が、しっかりとあるべき姿に変わっていくのに・・・と私はいつも考える。 色塗り作業は、サプライヤーは外注で主婦などに依頼する。始めはこの仕事を男性に頼んでいた。一家の主導権を持つ長姉が「女の人が出入りして弟たち(サプライヤー)と恋仲になっては困る」という理由からだった。しかし、男性は家で仕事をすることをいやがる人が多く、また報酬を渡すとすぐに仕事をやめてしまい、全く長続きしない。困り果てたあげく結局は「家事・育児をしていて外で仕事ができない」という主婦にやってもらったところ、ねらいは的中した。彼女たちは必死にこの仕事に従事し、その上どんどん近所の主婦層に広げて技術を伝え、今や100人近くのペインターが働くようになった。 先日、あるペインターのところを訪問した。家賃は1,000Rps.(1,600円)。その上ガス・電気・水道・代だけで1,000円は下らない。4畳半ほどの部屋には夫とともに娘3人、合計5人が生活をしている。夫の仕事は会社員、給料は月5,000円だから年収は60,000円。この収入はカトマンドゥの会社員としては標準だが、この家賃や必要経費・そして食費を入れればその金額では生活はとても苦しい。母親はこの色塗りの仕事を始めて、もう10年になろうとしており、収入は年で70,000円近くにもなる。ペインターの中でも高給取りだ。それだけシーズンには毎日何時間も色を塗り続ける。当時は幼児だった娘も15歳になり、学校の合間に家で一緒に色塗りをするようになった。夫も協力的になり、中には家事・育児をかわりにやってくれる人もいるという。「日本でも、主婦が家でできる仕事はなかなかないよ。」と言った私に、彼女は「手が痛くなるけどね」と笑いながら恥ずかしそうにつぶやいた。 塗り方は、私がこのネパール手すき企画に携わってきた18年前から比べると、どの人も格段に向上した。彼女たちは、もう仕事のプロだ。色を塗るという作業は、ヒーリング効果があると言われる。私も色を塗っているときはトランス状態になる。彼女たちの筆先を見つめる真剣な表情を見ていたら、私は彼女たちと同じ職業意識になり、どこか心が通じ合うようなあたたかいものを感じたのだった。 ---------- いろんな人が、がんばっています。ひとつのモノを通して、いろんな人が出会って、感じて、響きあっています。そして、このひとつのカレンダーを手にしていただくみなさまにも、たくさんのいろんな気持が伝わっていけばいいなあと、私は願っています。こうしてその想いは、またネパールの人々に戻って行くのです。「みんなで手づくりしたものは、世界中の人たちをしあわせにしてくれているよ」と。 現在も混迷を極めるネパールの政治状況。多くの人々がもだえ、苦しみ、祈り続ける・・・・だれもがみんな生まれたときは、「愛」からはじまりました。一人ひとりが大切にしあって、愛しあって、そして一日でも長く生きられますように。がんばれ、ネパール!
ゆいガイア
井林昌子(NPO法人「ヒマラヤ・ロクタの森」代表) |
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