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my dear Nepal....... ひとすじの光を信じて 2006年9月20日 NPO活動地からの帰り途中、山間部の車道を車で走っているところで偶然、私は軍隊と反政府勢力の銃撃戦に遭遇してしまいました。 大急ぎで側の民家に逃げ込み、たくさんのローカルの人々と肩を寄せ合って震えながら待機したのです。外は銃弾の嵐、その時私はまさに戦争の中にいました。同じ国民同士が、「勝ち負け」で殺し合う世界を目の当たりにして、戦争には理念や信念などもはや存在しないのではとさえ感じました。網の目をくぐるように何とか無事にカトマンドゥに戻った翌日からは、今度は各都市でも流血の民主化運動が始まったのです。 昨年、国王が政権を奪いほぼ軍事国家と化していたそれまでのネパールで、多党制による民主主義復活を唱えた7政党、1991年の民主主義大革命の末にますます貧富差が生まれたことによって遠隔地で出現した共産主義党反政府勢力(マオイスト)、三つの柱はけん制しあいながらこの4月の革命運動に突入し、そして多くの犠牲者を出してようやく今、国民に主権を戻すという原点に戻りました。 特にリモートエリアにいると、カトマンドゥから離れた遠隔地の人々は貧しさに苦しみ、政府から見放され、そして今までは実に様々な恐怖と戦ってきたことがわかります。住民と先の恐怖におののきながら聞いた会話がありました。震えながらある若い青年が言った言葉。「だから、こんな国にいたくないんだ。こんな国で何かができるかって?できるわけがないじゃいないか」。 それに対してある人がこう言ったのです。 「誰も死にたくはない。誰もが夢を持っている。その夢を実現させたいから死にたくはない」。絶望の中に、希望という光をみつけた瞬間でした。 私自身、この国に関わって18年。人や仕事のトラブルで嫌なことや腹の立つことで、時々ネパールが嫌いになったり散々参ってしまうこともあるけれど、でもふとした一瞬に、身体の芯にサラウンドが響き渡るように、まるで家族のような温かい感覚が湧き出てくるような・・・。そんなフシギがここにはあるのです。それは運命が私に与えたミッションの証しなのかもしれない。 人々の嘆きを知り、耳を傾け、心に刻み、慈しみ、そして励まし続けていくこと。それが、長年ネパールと関わってきた自分にできる今のささやかな仕事だとも思っています。 さて、2007年ネパールカレンダーができあがりました。カレンダー工場はこの革命運動が特に激しかった地帯にあるので当時は大変でしたが、サプライヤーの努力でしっかりと入荷できました。2007年もこのネパールカレンダーで、皆さまの心にじんわりとあたたかく重なっていけますことを願っています。
ゆいガイア 井林昌子
(特定非営利活動法人 ヒマラヤ・ロクタの森 代表) |
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