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元気で、明るく。 2009年9月 時々あることだが、ある日、乗ったとたんメーターがものすごい勢いで上がり始めた。キッとなった私は、すかさず「ねえ、あなたのメーター、おかしいでしょ。早すぎるよ。」 するとドライバーは、「そんなことはない。普通だよ」と返したので、「何言っているのよ、ここで降ろして。」「わかった、わかった。ちゃんとやるから。」「いいから止めてよ!このタクシーにはもう乗らないから!」と、問答になり、しまいには「とにかく止めて、止めて! 止めろ、降りるんだから!止めろー!」と車内でヒステリックに怒鳴りまくり、無理やり止めさせ、それまでの80%くらいのタクシー代を渡して決別する。 しかし後の私は、悔しさと怒りで血圧が上がった我が身と向き合わなければいけなくなってしまうのだ。 なにごとも「ま、いっかー。」で済ませられない私の場合、この国に住むのは不可能なのではないかと考えてしまうのである。 話は変わって、ある時、私の義妹の持つアパートの一室に居候していたときのこと。ある夜9時頃に廊下で住人同士が何やら言い争いをしていた。普段は仲の良い二人の女性AさんとBさんだった。二人の亭主は出稼ぎに行っているので、両方とも母子で生活をしている。 Bさんいわく、「あんたのこどもが、私のことをビンボーだと近所に言いふらしているらしいじゃない!どういうことよ!あんたがこどもにそう言ってるんでしょ!」Aさんは、「そんなこと言ってないわよ!言いがかりはやめてよ!」という内容の応酬だった。 言った、言わないの終わりのない論争に、アパートの住人がみんな出て来て仲裁に入ろうとしている。しかしどちらも引かずに大声で激しい口げんかになり、それは延々と30分も続いた。オーナーの義妹がようやく階上から降りてきて間に入りその場はなんとか落ち着きを見せたが、あまりにもテンションが高い喧嘩だったので、隣同志だからこの先も面倒だろうな、とみんなで話したりした。 ネパールの女性の口はやたらに達者だ。口論しようものなら、論点がずれて原因がどこか別の世界に飛んで行ってしまうこともしょっちゅうだ。穏便に理屈・理詰めで事を運ぼうとする者にとっては呆れ果てることもよくある。「無駄」。その言葉に尽きるのだ。 ところがその深夜1時頃、再び事が起こった。またしても何やら廊下で騒がしい。今度はAさんがさめざめと泣いているのだ。どうやら、我が子が熱を出して意識を失ってしまったのだという。パニックになり「どうしよう、どうしよう、」とおろおろするばかり。Bさんももちろん出てきた。義弟が「救急車を呼ぼう」と言いだしたとたん、Bさんがこう言ったのだ。「何言ってるの。そんなことよりも、私がすぐに病院に連れて行ってあげるわよ!」 そしてBさんはAさんを励ましながらAさんのこどもを抱き抱え、しっかりした足取りで外に出て行ったのだった。こどもは風邪ということで、幸いにもその日の入院だけで元気になって戻ってきた。 ケンカをしてもその日に仲が戻るということはネパールではよくあるらしい。あれほど激しくバトルし罵倒しあっていた二人も、あっという間に元に戻った。日常で困った時には助け合うことの精神は、私たち日本人の感情をはるかに超えた強い意識がある。なかなか日本ではお目にかかれなくなったそんな光景を目の当たりにすると、「まあ、この国もオモシロイよねえ。」と、しみじみ・・・。時々、ネパールに対して私の中ではこうしてポイントが高くなるときもあるのだった。 ネパールという国は、時にそっぽを向かれたり、つれなくされたり、逆に優しくしてきたり。そんなこんなで心身ともに振り回されてばかりの国だけど、もしかしたら結局は私自身が、この国に育てられているのかなあと、最近はちょっとばかり謙虚に考えるようにもなってきたような気がする。 さて、2010年ネパールカレンダーが今年もやってきました。世界的に経済状況は穏やかではありませんが、それでも元気に、明るく、生きていけますようにと思いを込めて作り上げました。皆さんのお心に暖かい想いがじわっと沁みわたっていかれますよう、ぜひ、お手にとってごらんになってください。
ゆいガイア 井林昌子(NPOヒマラヤロクタの森・代表)
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