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一歩、一歩・・・・ ともに変わりゆく。 2008年8月 私は、混迷したネパールの政治状況の中で、危険な山間部でのNGO活動を実施した時の様子がフラッシュバックしていた。どうか、どうか、生きて帰ってきてほしい。しかしその願いは虚しく打ち消されてしまった。 紛争地での支援活動は、生と死は常に表裏一体だ。長くその地に留まり、多くの住民から信頼されていればこそよけいに見えなくなる落とし穴がある。「自分は、大丈夫」という錯覚にも陥れられる。NGO活動は、いかに現地のためにすばらしい事業を行なっていようとも、どこかでそれに反発する動きが出てくる。どんなに気をつけていても、人々の様々な感情をコントロールすることは難しい。 数年前、私はネパールでの活動地において、何度も、銃を持った反政府勢力と対面し、活動に関する交渉を行なっていた。中には、散弾銃を抱え、コマンドーと呼ばれていた戦士数人に囲まれて話しあいをしたこともあった。当時、現地の人々は多くが反政府勢力に殺害されたり、連行され、強制的に戦士にさせられたり、強制労働を強いられたりしていた。「私たちは、政府にも見放されている。貧しさと戦い、反政府勢力と戦い、誰も味方にはなってくれない。」そう悶える住民の苦しみははかりしれないものだった。危険地帯に住む現地の住民のそのような日々の嘆きを毎日耳にし、そんな彼らを支える活動をして多くの住民から心から感謝され涙されると、「何が何でも自分がやらねばならぬ」という使命感を感じてくるのだ。 伊藤さんの、ひとつ、ひとつ、何度も崩れる積み木を重ねるように積み上げてきた仕事の中で、どれほどのご苦労と達成があったかを考えると、とても心が痛み、悲しい。 ネパールでは、当時、武装闘争を繰り広げていた毛沢東主義派マオイストが、2006年の民主化革命運動において、それまで統治していた国王を失脚させ、先4月の議会選挙においても勝利をおさめた。そして、先日、とうとうネパールの新しい首相はその党首であったプラチャンダ氏に決定した。私自身は、当時のマオイストのやり方には様々な気持があるけれども、かの地で語り合った彼らの政治に対する民主的で平等な考え方や想いを尊重したいと考え、各地の貧困層から結成された党が、これまでの汚職で腐敗しきった国の立て直しを図れることを、今は深く期待している。それは、力強く射してくるひとすじの光のようだ。 さて、首都カトマンドゥでは、膨れ上がった人口と多大な車両の増加により、大気汚染は現在、世界で第二位に位置してしまっている。マスクがないと外出もシンドイ。巨大国家インドと中国に挟まれ、ほとんどの物資を輸入に頼るネパールでは、収入は上がらないのにインフレによる物価上昇が止まらない。その上、乾期の水不足による電力供給ストップは毎日8時間にも及び、各工場ではさまざまな生産の障害が起こっていた。カレンダー工場では、印刷職人は、電気が動く時間は早朝でも工場に出向いて印刷機を回した。しかし自宅で着色するペインターは、夜の作業ができずに困り果てていた。 政治も混迷しているし、環境も劣悪、どこもかしこも、ツライことばかりだったけれども、しかし今年のカレンダーは、そんな悪状況の中でなぜか生産が順調で期日通りに入荷し、そして質もまずまずの出来栄えだった。よほど、努力をしてくれたにちがいない。納期遅れなどの心配はうれしい誤算だった。ネパール人はもしかしたら逆境に強いのかも? 自ら「何も取り柄がない」とグチっていたけれど、なんだ、スゴイじゃない! これからも、一歩、一歩、いっしょに変わっていこう。 そのような、大いに取り柄のあるネパール人の誉れを、今年もどうか皆さまにもお手に取ってご覧になっていただきいたいと思います。 そして、アフガニスタンでお亡くなりになられた伊藤和也さんのご冥福を、心よりお祈りいたすとともに、アフガニスタンや多くの国々が一刻も早く平和になってくれることを切に願っています。
ゆいガイア/NPOヒマラヤ・ロクタの森 井林昌子
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